しあわせポン

小さな良いこと、おすそわけ

自衛隊が人を殺すための組織だというのは正しい

自衛隊が人を殺すための組織だというのは、その通りだと思います。

どこかの国が攻めて来たときに、その者らを殺す実力を有してこそ自衛隊であって、そうだからこそ自衛隊は必要だというのが、本当の考えです。

災害救助は本来的には自治体の仕事です。自治体が人手も予算もないので、たまたま手が空いていた自衛隊がやってあげているに過ぎない。

他国の脅威の排除こそが、自衛隊の第一義的な仕事です。そして脅威の排除の中には、人の命を絶つことも含まれます。

おためごかしはやめてほしい。

そこまで正面から見据えた上で、自衛隊をなくすというのも見識であるし、そこまでの覚悟を持つべきであると思います。

自衛権の本質は集団的自衛権だと思う

たとえば、私が誰かにケンカをふっかけられたとします。新宿の歌舞伎町を歩いていたら、前から怖そうな男が歩いて来た。これはまずい。因縁をつけられる。僕は本当に弱いんだ。だから、下を向いて歩いていこう。

 

でも、やっぱり声をかけられた。よお、兄ちゃん、金だせや。

 

ごめんなさい、僕は、弱い上に貧乏なんです。だから、あなたにお渡しできるようなお金は持っていないんです。

 

何をコラーっ。男の右拳が左頬に迫ってくる。こんなシチュエーション。

 

この時に、もちろん、反撃してもいいですね。相手の拳をさっと下に沈んでかわしながら、相手の胴に組み付く。もし、男がナイフなどを持っていて、それを振りかざしてくるのであれば、パンチやキックでの応戦も許されるかもしれない。これが、個別的自衛権です。

 

でも、まあ、自分のことだから、最悪、やられちゃってもいいじゃないですか。殴られたり、ナイフで刺されても、まあ、しようがないかなと。達観できるのであれば、一切反撃せずにやられちゃってもいい。

 

しかし。

 

もし、襲われたのが、一緒に横を歩いている家族だったらどうします? 自分はやられちゃってもいいかもしれないけど、家族がやられるのは絶対に許せない・・・と思います。これは、どうしようもない心情的なものです。

 

では、自分ではない、家族や友人が襲われたときに、反撃をしてはいけないでしょうか。もちろん、「してはいけない」という論理も成り立ちます。自分ではない他人が襲われたときには、だまって見殺しにしなければいけない。襲われてから警察に訴えて、相手には相応の責任をとらせる。こんな考えも成り立つ。

 

でも、一緒にいる家族や友人が襲われたら、私は反撃するでしょう。特に、愛する妻や子供だったら、絶対に反撃する。絶対にです。自分が弱いとか、関係ないです。自分の生き方を賭けて反撃する。これが集団的自衛権ですよね。

 

だから、自衛権という概念を考えたときには、本質は集団的自衛権の方にあると思います。個別的自衛権(=自分に対する自衛権)はあきらめちゃってもいいかもしれませんが、集団的自衛権(=大切な人を守る自衛権)はあきらめることはできません。

 

この権利は自然的なものであり、憲法すら関係ないと思います。

 

日常生活で気軽に瞑想する

瞑想は、心にも身体に良いと言われます。仕事疲れ、人間関係の煩わしさ、こういった日々のストレスを解消し、気持ちをリセットする効果が、瞑想にはあります。

しかし、瞑想のために、特別に時間をとるのも、忙しい私たちとしては、なかなかできることではありませんよね。1日30分、気持ちを落ち着かせて座禅を組む、なんてことができたら最高ですが、ちょっとそれは贅沢すぎます。むしろ、毎日必ず瞑想の時間をとること自体が、ストレスになってしまいそうです。

私も、そんなスペシャル瞑想タイムを作るのは、ちょっと無理です。そこで良い方法を発見しました。やり方は、簡単です。

 

ヒゲソリをします(笑)

 

私の場合、フェザーの安全カミソリを使っているのですが、これでヒゲを剃っている時間が、瞑想をするのにとても良いのです。ヒゲを剃る動作に集中し、それ以外の雑念をできるだけとばします。ヒゲソリの重みとか、ヒゲの感触とか、そういう身体感覚をゆったりと味わって、だんだんと思考をなくしていきます。

上手く剃ろうすら、考えなくてもいいんです。ただただ、剃ることに意識を集中させる。そうすると、ある段階から、とても澄んだ気持ちになっていきます。

日常的に行っている動作なら、どんなことでも、このやり方で瞑想ができますよ。たとえば、歯磨きや、皿洗いなどは最適です。単に階段を上るだけでも、それに集中すれば、瞑想になってきます。太ももに力が入る感触を味わってみてください。

特に皿洗いは、良いです。蛇口からそそがれる水の感じ。洗剤を使って、キュッキュッと皿を磨く感じ。こういった感触を、ていねいに、ていねいに味わっていきます。とても気持ちがいいものです。だんだん三昧境に入っていきます。

そういうこともあって、最近、私は積極的に皿洗いをしていて喜ばれているのですが、実は家族のためというより、自分のためだったりします。皿洗いをリラックスタイムにしていることは、内緒にしておいてくださいね。

女性への未練を3時間で断ち切る方法

女性に対する未練を捨てられなかった男がいます。この男が、ある本を読んで9割がた未練がなくなったと、晴れ晴れした顔で言うので、私も読んでみました。

その本とは、加藤秀視さんの「自分を愛する技術」です。

男の名前を仮に、S君としておきます。S君は私の友人なので、仮名にさせてください。S君が忘れられなかった女は、いわゆる夜の蝶、キャバクラ嬢です。S君はもともとキャバクラに行くようなタイプではありませんでした。

ところがある日、取引先の人と偶然行ったキャバクラが、ものすごく楽しかったといいます。女性はかわいく、トークも上手い。そして、自分に対してだけ笑顔が違う(ような気がした)。ただ、S君は、まあ相手も商売だからと、最初は気にも留めていなかったようです。

キャバクラ嬢のやり方

それから1週間後、女の子からS君の携帯に電話がありました。この前の来店のお礼と、今度、食事でもどうですか、と誘われたそうです。いわゆる同伴ですね。S君は、これも商売上のトークだと理解しつつも、興味半分、応じることにしました。

ここからは、相手のペースです。お店に通い始め、適度にデートに誘われたりして、あれよあれよという間に良いお客さんです。もちろんブランドもののバッグも買ってあげましたよ。S君は、最初のうちは気前がいいところを見せていましたが、さすがに回数が増えると、お金も大変となり、次第に女の子からの誘いを渋るようになりました。

するとどうでしょう。女の子は、急に冷たくなったそうです。デートもしてくれなくなりました。S君は動揺し、またお店に通い出しました。泥沼ですね。よくある話です。キャバクラあるあるです。

S君のすごいところは、そこから生還したことです。こんなことを続けていてはダメだと、必死になって、その女の子との連絡を、自ら断ちました。相手のメールアドレスも消してしまったそうです。

思いが怒りに変わるとき

でも、ここからが地獄でした。自ら連絡を絶ったのに、女の子から連絡がないかないかと、一日に何度も自分の携帯をチェックする始末(自分の番号とアドレスは変えてなかったので...)。そして、連絡がなければないほど、女性への思いが怒りに変わっていきました。あいつは、やっぱり俺のこと騙しやがったのか、天誅くだしたる〜と、激しい怒りがふつふつと沸いてきます。

そうかと思えば、しばらくすると、相手のことをやっぱめっちゃ好きやねん〜と感じたりする。怒りと好きが振り子のように繰り返される。完全に心のバランスを崩してしまいました。そのころのS君は、私から見てもヤバかったです。

S君は、それでも結構、前向きだったんですよ。騙されたのは自分だし、相手のことも好きだったし、とにかく許そう、許そう、としました。許すのが大事と、いろいろな本に書いてありますからね。でも、ふとした瞬間にぶり返す。未練の無限連鎖。

自分を愛する技術

S君は勉強家なので、いろんな本を読みました。心理関係の本です。でもなかなか、未練は消えない。その中で、出会ったのが自分を愛する技術」。本屋さんで山積みになっていたので、何気なく手にとったそうです。

その本に書かれていたこと。

家庭、学校、社会。私達はあらゆるところで数々の想念を刷り込まれる。『見えない誰かや何か』によって創られた都合のいい幻想を刷り込まれていくんだ。

これは、いろいろな本に書かれていて、すでにS君も知っていたことです。むしろ、手あかがついていると言える。しかし、今回は何かが違いました。

今もまだ多くの人がこの『純粋性』の概念を知らぬまま、怖れのエネルギーに支配されて生きている。怖れがベースにあるので、様々な『幻想の想念』に囚われ、問題や苦しみを抱えている。虐待や殺人、戦争なんてものはその最たるものだね。

『純粋性』というのは、ありのままの自分ということです。S君はこの一節を読んで、「怖れ」という言葉と、先ほどの「想念」という言葉が、キーワードとしてビビッとつながる感覚があったそうです。

キャバクラの女の子に対する怒り。これは本当は、女の子への怒りではなくて、自分への怒りなんじゃないか。女の子に騙されたことに腹が立っているのではなく、「キャバクラ嬢にのめり込んで騙された情けない男」になってしまうことを怖れていただけじゃないか。

怒りの対象は、本当は「騙した相手」じゃなくて、「情けない自分」。自分への怒りを相手に転嫁していただけだって気がつきました。

だって、元々相手は商売だって、わかってたんですから。オオカミに、おまえは何で子羊を食べちゃうの? って、聞いても意味がないのと同じ。

だって、オオカミなんだもの。近づく方が悪いです。彼女は仕事をしたまで。

かっこ悪いのも気のせいさ

ここまで腑に落ちれば、あとはもう少し。

情けない男の反対は、キャバクラ嬢を手玉にとる男。そんな男でいられたら、確かに格好いいよね。でも、そんなの結局は、世間が作ったイメージ。それも特定の男たちの中だけで通用するダメダメなイメージ。いわゆる想念、想念、幻想の想念。

だったら自分は関係ないじゃない。キャバ嬢に入れあげちゃったのって、かっこ悪いけど、だから何だっていうの? 俺のことなんか、別に世間の人は気にも留めていないでしょ。だったら、気にする必要ないや。

と、こんな風に考えられるようになったそうです。

なんにせよ、最大のポイントはキミが愛する人に接するように、自分自身にも接する、ということだ。

相手への「怒り」は、自分のプライドを壊されることへの「怖れ」から生まれたもの。これが理解できたとき、S君は、スーッと気持ちが晴れていったとか。こうして自分を受け入れられ、自分のことを愛せるようになったからでしょう。最近のS君は、とても自信を取り戻したように見えます。

最初にS君がこの本を読むのにかかった時間は、だいたい3時間。

いまでも、ほんのちょっとだけ未練がぶり返しそうになると、この本を手にとって読み返しているそうです。